内海哲也選手[ 読売ジャイアンツ ]


内海哲也選手[読売ジャイアンツ]

2011年、プロ野球セ・リーグで最多勝に輝いた、読売ジャイアンツ・内海哲也投手。
祖父の内海五十雄さんが背番号26を背負った巨人軍の選手だったこともあり、幼少期より将来は巨人軍でプロ野球選手になることを夢見て、野球に"全てをかけていた"とのこと。
そこで今回のアスリートインタビューは、内海選手の中高生時代のお話、野球を好きになった理由、どんな中高生時代を過ごしていたのかなど、中高生に向けて魂のこもった熱いメッセージをいただきました。 夢をかなえたい中高生読者必見です!

1.最初はラグビーをやっていたんです

──── 内海選手が野球を始めたキッカケはなんでしょうか。
内海哲也選手 小学校2年生の時に、少年野球を始めたのがキッカケなんですけど、小学校1年の時は、親に入れられたラグビースクールで活動していたんです。でも小学校一年生がやるラグビーは、体づくりばかりで、ボールに触らせてもらえなかったから、あまり面白くなかったんです。でも、少年野球はすぐにボールを使ってキャッチボールができるし、バットも振れるし楽しいことばかりで、しかも仲のいい友だちもたくさんいたので、親にお願いして野球をやらせてもらったんです。
──── 野球のどんなところに魅力を感じましたか。
内海哲也選手 最初は、打つとか、投げるとかが、純粋に楽しかったです。野球って下手の時も上手になってからも、ずっと同じくらい楽しくできるスポーツだと思うので、そこが野球の魅力だと思います。


2.内海は文武両道の模範学生です!

──── 高校時代の部活の中で、一番つらかった練習メニューはなんですか。
内海哲也選手 ランニングメニューですね。僕はピッチャーなので、練習といったら、投げることと、走ることが中心で、冬場になると練習の中心がさらに走ることになっていくんです。だから毎日練習の合間に10キロは走ってましたね。
──── それでは嬉しかった部活の思い出はなんですか。
内海哲也選手 野球部のチームメイトによる不祥事で辞退することになってしまったんですけど、春の甲子園出場が決まった瞬間が一番嬉しかったです。
──── その不祥事が起きてしまったことで、チームの団結力とかに影響は無かったんですか。
内海哲也選手 不祥事をおこしてしまった部員は退部してしまったんですけど、残った仲間と夏にもう一度甲子園に行こう! と一致団結して、それからはさらに気合を入れて練習していました。
──── 内海選手は、部活以外ではどんな男子でしたか。
内海哲也選手 野球以外では、みんなでお昼休みとかに、3on3のバスケをやるのが楽しみでした。
──── 勉強はどうでしたか(笑)。
内海哲也選手 まさしく僕は文武両道の模範学生でした。全部の教科が出来たというより、ひたすら勉強して、テストに出る範囲を全て丸暗記していました。
──── でも部活を一生懸命やると、疲れてしまって帰ってから勉強するのはしんどいと思うのですが。内海選手はどうやって勉強していたんですか。
内海哲也選手 そこは内海マジメです(笑)。寮生活だったんですけど、特にテスト期間中は、寮に戻ったら、ひたすら丸暗記の勉強をしてました。