いつも心に“部活道” ~先輩からのメッセ|中高生部活マガジン HEROINTERVIEW


2009年06月15日

■ 元西鉄ライオンズ監督・中西太先輩

元西鉄ライオンズ監督・中西太先輩

元西鉄ライオンズ監督・中西太先輩

 今回の 「 いつも心に“部活道” ~先輩からのメッセージ~ 」 は、高校時代に甲子園に3度出場し、プロ野球・西鉄ライオンズの強打者としても大活躍。引退後も、監督、コーチとして数々の名選手を育てられた経歴を持つ中西太先輩です。
(取材・文/石井陽一郎  写真/むかいあお(高3))

~ インタビューの前に ~
 今回は、編集部から3名、中西先輩のお嬢様のご友人で、取材させて頂くきっかけを作ってくださった2名という大人数でお伺いさせていただき、奥様・お嬢様を含め、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。また、中西太先輩は、出身地である高松市の観光大使も務められているそうです。

1.後輩が入ってこない中学時代


編 : はじめまして。今日はよろしくおねがいいたします。まずは、中西先輩の中高生時代のお話をお伺いさせていただきたいのですが。

中西太先輩 : 戦後すぐに旧制高松第一中学校に入学したんですが、その後の学校教育法の変更により、6・3・3制に変わったので、私は旧制中学最後の入学者になりました。
今の小中高とは違って、第二次世界大戦前の日本の学校教育制度では、6年制の尋常小学校を卒業した後、進学を前提に学問を学ぶなら5年制の旧制中学校へ、就職や家事手伝いをするなら2年制の高等小学校に進学するという事になっていました。

編 : 学校教育制度の変更によって、野球部で何か変わったことってありましたか。

中西太先輩 : 私の代が最後の旧制中学入学者となったので、私の後に続く中学生は入ってこなかったんです。だから、3年間はずっと補欠だった訳です。でもそれによって基礎を、みっちり鍛えられたことが、後々の私にとって良かったんだと思います。ピッチャーもやり、キャッチャーもやり、バッティングピッチャーも玉拾いもやる。補欠の時代は多くの雑用をやりながら他の選手の研究も出来るので、幅広く様々な経験が出来ました。
帰宅後も家の前で、つぶれた豆を滑り止め代わりにして素振りにしていました。何回振ったなんてことは覚えてませんが、通り過ぎる人からおかしな目で見られたものです。(笑)

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