2008年04月15日

■ 第85代・86代内閣総理大臣・森喜朗先輩

森喜朗元首相

今回の「いつも心に“部活道” ~先輩からのメッセージ~」は、第85代・86代内閣総理大臣 森喜朗先輩 です。 3月25日のメジャーリーグ日本開幕シリーズ第1戦「アスレチックス対レッドソックス」での始球式を務めた 森喜朗元首相 はスポーツを通して国内外で様々な活動を行なっている、トップリーダー。 勉強するのも大事だが、一番大切なのは色々な人との出会いであり、コミュニケーションを通じて学ぶことであると語る、森喜朗元首相に「部活」というキーワードで、お話をお伺いいたしました。

森喜朗元首相の“部活道”


編 : はじめまして。今日はよろしくおねがいいたします。
森先生が、高校、大学とラグビー部だった事は有名ですが、中学生の時は何か部活をされていたのですか。

森喜朗元首相
森喜朗元首相 : 中学生時代はバスケットボール部でした。高校でラグビー部に入りたいと思っていたんですが、その頃の私は、前から数えるくらいとても体が小さかったので、少しでも大きくなりたいと思い、その為に鉄棒にぶら下がってみたり、色々と努力していました。
 なので、特にバスケットボールがやりたいと思って入部していたわけではなく、大きくなりたいという目的と、ラグビーで活かせるような激しいスポーツはなんだ? と考えた時に、中学ではバスケットボールが一番激しかったので、それが入部の理由です。試合に出たいとか選手になりたいとかは考えていませんでした。(笑)

編 : そうだったんですか。ラグビーの為にバスケットボール部に入って頑張っていたんですね。

森喜朗元首相 : そうですね。その頃の私は、早稲田大学のラグビー部に入ることが夢だったので、その当時、石川県で一番ラグビーの強い、県立金沢二水高校でラグビーをしようと、その高校に進学できる通学区域の中学に汽車通学をしていました。一般的には受験の為に越境通学する事が多いですが、私は高校でラグビーをやりたいという目的で越境していたんです。

編 : 森先生は、ラグビーのどの部分に魅力を感じたのですか?

森喜朗元首相 : 私に物心がついた頃、父は戦争に出兵していましたし、母も私が小学校一年生の頃に亡くなっていました。 そんな中、小さいころの私は、玄関の下駄箱の上にある皮のグローブと、空気の抜けた楕円形のボールを見て、これはなんだろうな? と誰にも聞けずに思っていました。
 そして、もう生きては帰ってこられないだろうと思っていた父が戦場から戻ってきたので尋ねてみると、それがラグビーというスポーツで使う物だという事がわかったんです。
 そんな時に、早稲田大学のラグビー部が偶然、私の通っている小学校で合宿をするようになったんです。 私は早稲田のラグビー部の選手たちの練習を毎日毎日見ていました。 そして、カッコいいな~!!! 俺は大きくなったらこれをやるぞ!!! って心に決めたんです。

森喜朗元首相
編 : ご両親は森先生の夢に応援してくれたんですね。

森喜朗元首相 : 私の父も、戦前の早稲田のラグビー部だったので、すぐに理解し応援してくれました。 中学を探してきてくれたのも父ですからね。
 早稲田でラグビーをやりたいという一心で、朝6時に家を出て、歩きと汽車で2時間かけて通学するという事を中高6年間やりとげられたのは、今振り返っても頑張ったなと思います。

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