2010年01月01日
■ 文京区長・成澤廣修先輩

「文(ふみ)の京(みやこ)」と書いて文京区。その名のとおり、おおくの文人たちがこの地に生まれ、また暮らしていました。夏目漱石は、英国留学後は駒込千駄木に住みました。森鴎外は明治25年から団子坂上に面した家に住んでいました。樋口一葉も24年の短い一生のなか、10年を文京ですごし、ここで生涯を終えました。そのほか、多くの文人たちが集う地域として知られています。
また、「坂のまち」ともいわれています。文京の標高は8mから約30mまであります。谷と高台が織りなす坂道は、名前があるものだけでも110以上といわれています。中でも有名なのが、猫又坂、団子坂、播磨坂、胸突坂などでしょうか。
梅、さくら、つつじ、あじさい、菊、という色鮮やかな花が季節ごとに楽しめる、「五大花祭り」も有名です。わざわざ遠くから来る方も少なくありません。
そして誰もが知っている「東京ドーム」や「湯島天満宮」、「東京大学赤門」などがあります。長い歴史によって培われた文化と、みんなで楽しめる施設とが共に位置するまち、それが文京区です。
ということで今回の「いつも心に“部活道” ~先輩からのメッセージ~」は、成澤廣修文京区長です。今回も「部活」というキーワードで、中高生に向けて色々なお話をお伺いいたしました。
成澤廣修文京区長の“部活道”
編 : はじめまして。今日はよろしくおねがいいたします。成澤区長は、中学生の時に何か部活はされていたのですか。

私は運動神経があまり良い方ではないのですが、体を動かしていた方が良いと思ったので、中学1年生から高校3年生までバスケットボール続けました。しかし6年間ずっと補欠でした・・・(笑)
編 : 練習はきつかったですか?
成澤廣修・文京区長 : バスケットボール部はそんなに強くなかったのですが、週3回の練習で、うさぎ跳びやサーキットトレーニングをやっていました。当時はまだうさぎ跳びがヒザに悪いという事が分かっていなかったので、先輩に結構しごかれていました。
編 : 新聞部にも所属していたそうですが・・・
成澤廣修・文京区長 : 新聞部が部員がいなくてつぶれそうだと聞いていたので、当初はバスケ部と新聞部を掛け持ちしていたのですが、途中から、部活動にはどれか一つしか所属できないという決まりに変更になったので、バスケットボール部だけになりました。
編 : 部活動をするという事は中高生にとって大切でしょうか?

私は6年間万年補欠だったので、プレーイングマネージャーだったんです。(笑) 補欠なので試合にも出ますが、ボールを新しく購入したり、ユニフォームを新しくするなど、マネージャーとしての仕事も多くしていました。例えばボールを購入するにしても、私の父を通して購入すると、同じ予算で10個買えるところが15個買えたりするんですよ。(笑)
編 : 敏腕マネージャーですね。(笑)
成澤廣修・文京区長 : 世の中には裏があるんだって、学びました。(笑)
それと、6年間同じ部活動で過ごした仲間とは一生の付き合いになりますよね。顧問の先生との年賀状のやりとりもずっと続いていますし、5学年上から5学年下までの先輩後輩関係があるので、卒業後も色々な形で会っています。
区長選挙に出たときも、「区長選挙に出ている成澤って、あの成澤か?」って連絡があったりしましたし、部活動のつながりは、人間のつながりなので、絶対にやっておいたほうが良いと思います。
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