2008年11月10日
■ 第十七話(1) 藤原あらし選手 [ キックボクシング ]

キックボクシングが日本発祥の格闘技だということを、皆さんはご存じでしょうか。名前こそカタカナではありますが、キックボクシングはタイの国技・ムエタイの試合ルールを参照にして、日本で生まれた日本ならではの格闘技なんです。今回のヒーローインタビューは、全日本キックボクシング連盟のバンタム級王者として活躍、日本国内の強豪やムエタイ選手と数々の激闘を繰り広げている藤原あらし選手に、部活にあけくれた中学・高校時代を振り返ってもらいました。
(取材・文/佐々木亜希 写真/小山基彰)
1. サッカー部と駅伝部をかけもちしていた中学時代
編 : 現在、全日本キックボクシング連盟のバンタム級王者として活躍されている藤原あらし選手ですが、中、高校生時代はどんなふうにすごしていたんでしょうか。
藤原あらし選手 : 「中学・高校時代は……陸上と、サッカー部をかけもちしていました」
編 : なかなか2つの部活をやろうという気持ちにはならないと思うんですけど、並行して部活をやろうと思った経緯はどんな形だったんですか?
藤原あらし選手 : 「いや、ただ単にその時に足が速かったんで」
編 : すいません、もう少し詳しく聞いていいですか(笑)。
藤原あらし選手 : 「えーと(笑)。最初に入ってたのはサッカーです。サッカーは小学校2年生の時からやってましたね。『キャプテン翼』が流行った時期だったんですよ。日向小次郎に憧れて、Tシャツをまくりあげて着てました。よく浜辺に行って、タイガーショット(※日向小次郎の必殺シュート)を打ってました。今思えば、あれが僕のミドルキックの原点だったのかもしれないですね(笑)」
編 : サッカーをやっていたのに、そのうえ陸上までやるようになったのはどうしてですか?
藤原あらし選手 : 「陸上部のほかに駅伝部というのがあって、そっちはスタミナがあって足が速いやつがいろんな部活から集められてチームを作るんですよ。僕はそこの主将になったんです」
編 : それじゃ、サッカー部をやりながら駅伝部の練習も重ねてやってたと。
藤原あらし選手 : 「そうです。駅伝部の練習に出て、うわぁぁ~って走った後、汗だくになりながらスパイク履き替えてサッカー部の練習に出てました。朝練でまず、学校の周り……1キロくらいかな。毎朝5周走って。授業を受けて、駅伝部の練習をして、サッカー。着替えとかで、毎日カバンをぱんぱんにしてましたね」
編 : スゴイ話ですけど、へんな話、やってて矛盾とか感じなかったですか。
藤原あらし選手 : 「いや、感じまくってました(笑)。でも『また俺の出番だ』って気分でしたよ。あと、女の子の目線がちょっと嬉しかったりもしましたねぇ」
編 : 体育祭なんか、それこそヒーローだったんじゃないですか。
藤原あらし選手 : 「あぁ、体育祭では『またアイツが走ってるよ』みたいな感じで見られてましたね。とりあえず『なんとか走』ってつくやつは、全部出てました。1500メートルを5人で走るっていう、嫌なリレーがあったんですよ。それも、もちろん僕が先頭になって『おらぁ~!』って走ってました」
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