2008年09月15日
■ 第十四話(2) 手島雄介選手 [ ライダー/HONDA ]

今回のターニングポイントは、8月1日に前半を掲載いたしました、そんな男子なら誰でもがあこがれるバイクライダーでプロとして活躍する、ホンダワークスライダー・手島雄介選手のターニングポイント後編です。
後編では、高校時代のお話とターニングポイントについてお話をおうかがいしました。
(取材・文・写真/小山基彰 レース写真提供/小縣)
3. 覚悟を決めた高校生活
編 : バイクのレーサーとして生きていきたいと思った理由はなんですか。
手島雄介選手 : レースを見るのが大好きで、鈴鹿8耐とかをずっと見ていても飽きなかったんです。そしていろいろな選手を見たりしているうちに、僕もなりたいと思うようになりました。だからお金どうこういうより、世界中のレーサーと走りたいというのが一番の理由です。
編 : お金どうこうでは無かったんですね。
手島雄介選手 : 普通なら、仕事として成立するかどうかを考えると思うのですけど、僕の頭の中では世界グランプリで優勝している姿しかなかったです。(笑) これになりたいって。でも金銭的な壁にぶつかるんです。1レース20~30万位かかるレースを年間で10戦位出場するので遊びではできません。だから親のお金だけでは出来ないので、高校生の時はアルバイトを掛け持ちでやっていました。
編 : アルバイトで、レースの足しにしたんですね。
手島雄介選手 : 高校一年のときにアルバイトを3つやったんですけど、出勤率が悪いから全部首になっちゃって。(笑) そして困っていた時に、親父の友人でバイクの塗装屋さんを経営している人の所に遊びに行ったら、そこで働かせてくれたんです。
編 : 学校とバイトはどのようなスケジュールでやっていたんですか。
手島雄介選手 : まず浦和にある高校に通って、夕方5時に浦和にある祖母の家に行って着替えて、スクーターで戸田にあるバイクの塗装屋さんまで通いました。そしてアルバイトを夜の10時とか11時までやってから、スクーターで祖母の家に戻って着替えて最終電車で家に帰るという事を、毎日毎日やっていました。
編 : 卒業後もそのアルバイトを続けていたんですか。
手島雄介選手 : 卒業して1年間はお世話になっていたのですが、ちょうど金銭的に厳しかった時に、アライヘルメットさんからアルバイトのお誘いをいただき、将来バイクの世界で生きていく上でも何か良いつながりが出来ると思ったので、働かせていただく事になりました。
編 : しばらくアルバイトとレースを掛け持ちしていたんですね。
手島雄介選手 : はい。昨年までやっていました。
編 : 昨年までされていたんですか。
手島雄介選手 : 昨年まで4年間やっていました。 3年前からHONDAというチームで走らせてもらっているのですが、昨年まではHONDAでもプライベートチーム(エンジンなどはHONDA提供だが、正規のHONDAのチームではない)だったんです。そして今年からHONDAのワークスというチーム(HRC)でライダーをやらせて頂ける事になったので、ライダーのみで生活が出来るようになったんです。
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