2007年11月15日
■ 第七話(1) アレックス・ラミレス選手 [ 東京ヤクルトスワローズ ]

10月4日お昼1時頃、ヤクルトスワローズクラブハウスにて、レミレス選手のインタビューが始まりました。10月3日までにラミレス選手が積上げたヒットは“199本”。 そしてその日の夕方から神宮球場で行なわれた横浜との21回戦で、シーズン200本安打を見事達成しました。過去に日本プロ野球界では、左打者での200本安打達成者は、イチロー選手、青木選手といましたが、右打者として初の快挙でした。そんな記念すべき日になった5時間前に、ヒーローインタビュー編集部が、ラミレス選手にターニングポイントの取材を受けていただいていました。
1. ベネズエラという国
編 : ターニングポイント7人目のゲストは、東京ヤクルトスワローズ アレックス・ラミレス選手です。よろしくお願いします。
ラミレス選手(以下 ラミレス) : 宜しくおねがいします!

ラミレス選手(以下 ラミレス) : 私が野球を始めたのは9歳のころです。クラブチームに所属するのではなく、ストリートで野球をすることから始まりました。私の出身国ベネズエラでは、貧しさのためクラブチームに所属できず、ストリートで野球をする子供たちがたくさんいるんです。私もそのような子供の一人だったんです。
しかしある時、ストリートでプレーする私の姿が地元クラブチームの監督の目にとまり、クラブチームへスカウトされました。もちろんクラブチームで野球をやってみたいとの思いはありましたが、私にはそれだけのお金がありませんでした。貧しさを理由に誘いを断ると、その監督は「お金はこちらで工面するので、お金の心配はいらないよ!」と言ってくれました。これが、私が組織というものでプレーする初めてのきっかけとなりました。
編 : 中高生時代はどうでしたか?
ラミレス選手(以下 ラミレス) : 地元クラブチームへの所属の条件として、「しっかり学校へ通う」という事が挙げられていました。今振り返ると、「貧しさから学校へも通えずに、ストリートで野球に明け暮れている子供たちを、どうにか学校へ通わせる」 というのが監督の目的だったように思います。
監督のもくろみどおり、私は野球をやりたい一心で学校に通いましたが、はじめのうちは、「野球が一番! 勉強は二の次」という生活でした。

編 : それを教えて下さったのも、その監督だったわけですね。
ラミレス選手(以下 ラミレス) : はい。まさに監督のねらい通りだったのだと思います。 監督は学校へも行かずにストリートで野球をやっている子供たちをどうにか学校へ通わせ、野球を通してスポーツというものを学ばせたかったのだと思います。
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