2008年03月01日
∟ 中高生時代の芝原仁一郎少年
3. 中高生時代の芝原仁一郎少年
編 : そんな芝原選手の中高生の頃のお話を伺いたいのですが、中高生の頃は部活をやっていたのでしょうか?
芝原仁一郎選手 : 中学校のときは陸上部で、400メートル走と800メートル走の選手でした。

芝原仁一郎選手 : 全然ダメで、400メートル走は1分位かかっていたと思います。だから地区大会に進めたくらいで、県大会にはいけたことがありませんでしたね。
編 : 高校生のときは何部だったんですか。
芝原仁一郎選手 : ドカベンの影響で、高校の時は硬式野球部でした。(笑)
編 : どんな選手だったんですか。
芝原仁一郎選手 : 打てない、捕れない、投げれないの3拍子そろった選手で、外野の補欠でした・・・(笑)
その頃くらいからとても目が悪くなってしまって、となりで練習しているサッカー部に、「芝原あぶね~よ!!」って言われていました。打撃成績は、三年間でバッターボックスに立ったのが、練習試合の5打席だけで、しかも5三振です。数字はともなっていないですが、野球が大好きだったんですよ。
編 : 大会はどんな感じでしたか。
芝原仁一郎選手 : その時のうちのチームは、キャプテン、4番、エースがみんな違うメンバーで、とてもバランスのいいチームでした。で、前評判をくつがえし、岐阜県大会でベスト4になったんです。岐阜では普通科の高校の野球部がベスト4に入るのはとても珍しく、新聞にも載りましたね。
編 : そんな強いチームなら、なかなかレギュラーになるのは大変ですよね。
芝原仁一郎選手 : レギュラーは凄いんですが、ひかえの選手の層がうすいチームでした。3回戦の時に、ショートを守っているキャプテンが怪我をしてしまって、三塁コーチャーになったんです。僕がそれまで三塁コーチャーだったので、ベンチに下がりました。悔しかったですね。唯一僕がチームで一番だったのは、長距離走でした。

芝原仁一郎選手 : 確かにそうかもしてませんね。スタミナだけはあったんですが・・・
でも高校の三年間は楽しかったですね。
編 : でも、どんな気持ちで野球をやっていたんですか?
芝原仁一郎選手 : 僕は途中で投げ出すのが嫌なんです。レギュラーになれないから辞めるとか、そういう事は考えないですね。また、辞めたところでやることがないですからね。
●次のページは、「七人の小人の恋」
<< |1|2|3|4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | >>








